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​もっと詳しく!

ニューオルリンズジャズについて知りたい方へ

​ニューオルリンズジャズとひとくちに言っても年代やプレイヤーによって音楽の雰囲気は様々です。

​「ニューオルリンズジャズについてもっと知りたい!」「ニューオルリンズジャズってよく分からない‥」という新入生の方々に、

ニッチだけれど実はすごく楽しい音楽であるニューオルリンズジャズの魅力が少しでも伝わればと思います。

2019年12月のリサイタルの際に来場者に配布したパンフレットに掲載した文章です。

リサイタルで引退となった三人のサークル員が「ニューオルリンズジャズについて」をテーマに書きました。

1 ニューオリンズ・リバイバル期のミュージシャンたち / 浅野美来

2 渡米記 / 沼田遼太郎

 ニューオルリンズブラスバンド今昔 / 林田翔馬

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​Why Don't You Go Down to New Orleans

日々ニューオルリンズの音楽を聴き、研究し、演奏してきた部員たちが

ニューオルリンズジャズについて思い思いにしたためました。

本日のリサイタルにお越し頂いたみなさまに

​音からだけではなく文章からもニューオルリンズジャズの素晴らしさが伝えられれば幸いです。

​ニューオリンズ・リバイバル期のミュージシャンたち

​浅野 美来(文学部4年)

 アメリカ南部ルイジアナ州の港湾都市・ニューオリンズでジャズは誕生しました。その当時のニューオリンズは、ヨーロッパ各国の植民地争いの結果、白人と黒人の混血であるクレオールや、アフリカから労働力として連行された黒人など、様々な人種が入り混じった地域でした。その人種の多様性が黒人特有のリズム感と西洋音楽との化学反応を生み、さらには軽快なタッチで演奏する「ラグタイム」や黒人労働者の悲哀をうたった「ブルース」など、様々なジャンルが融合することによってジャズという一つのジャンルが形成されていきました。

 

 奴隷解放により仕事を求めた黒人ミュージシャンは、ニューオリンズの一大歓楽街「ストーリーヴィル」地区のダンスホールや酒場などで演奏をして生計を立てていきました。

 しかし、1917年、陸海軍の要求で「ストーリーヴィル」地区が閉鎖されたことにより、仕事にあぶれたミュージシャンたちは活動場所を変えることを余儀なくされました。たどり着いた先はシカゴ、そしてニューヨーク。衰退するかに思われたジャズは、皮肉にも禁酒法の恩恵を受け、さらなる人気を博していきます。サウンド的にも音楽理論的にも洗練されたものに変化していきました。この当時に演奏されたのがデューク・エリントンやベニー・グッドマンが活躍したスウィングジャズ、ビッグバンドジャズです。1929年に発生した世界恐慌により社会が暗いムードになる中、明るいダンスミュージックがかえって救いとして求められたのでしょう。この流れは止まることなくのちのモダンジャズへと続いていきます。

 

 さて、新たな地で繁栄を遂げたジャズでしたが、1940年代にはその流れに逆行するかのように、ジャズが興った当時のスタイルを再評価するムーブメントが巻き起こります。この現象は「ニューオリンズ・リバイバル」と呼ばれました。当時、ニューオリンズにいたミュージシャンたちは、普段は別の仕事をしながら、冠婚葬祭やパーティーの際に演奏活動を続けていました。トランペット奏者のバンク・ジョンソンはトラック運転手や音楽教師、庭師などの雑多な仕事をこなしながら、歯を全て失いつつも、トランペットを借りて吹いたり、チューバを時々吹いたりしていて音楽活動を続けていました。このようなジャズ草創期に活躍し高齢になったニューオリンズのミュージシャンたちが研究家たちにより再評価され、ニューオリンズジャズが再び注目を浴びるようになるのです。

 その中でもクラリネット奏者のジョージ・ルイスは、ニューオリンズジャズの正統派としてその音楽の伝統保存に努めたことで特筆すべき存在です。ジョージ・ルイスは「ストーリーヴィル」閉鎖後もシカゴに流れることなく、ニューオリンズでクラリネットの演奏を続けました。1949年のバンク・ジョンソンの死後も精力的に音楽活動を続け、アメリカ国内のみならず、ロンドンそして日本にも足を伸ばして演奏しました。この「キープ・オン・プレイング」の精神はニューオリンズジャズ再興の鍵を握っているのではないでしょうか。

 

 その後、時代が進むにつれ、ファンクやモダンジャズなど新しいジャンルの影響で徐々に伝統的なスタイルは廃れていきました。

 しかし、先述した「ニューオリンズ・リバイバル」期の演奏を聴いて育ったミュージシャンたちが、時代が移り変わった現在もなお、ニューオリンズジャズの伝統を引き継ごうと演奏活動を続けています。時代が変わってもそれぞれの形で文化を継承していく現代の現地のミュージシャンたちからも目が離せません。

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Preservation Hall

​元々は仕事の少なかったニューオルリンズジャズミュージシャンのために作られた

George Lewis『Jazz at Ohio Union』より

When the Saints Go Marching in

アルバムの表記ミスでChimes Bluesという他の曲がタイトルになっていますが、演奏されているのは「聖者の行進」の邦名でおなじみのWhen the Saints Marching inです。

​クラリネット奏者のジョージ・ルイス率いる楽団が1954年にオハイオ州立大学にて行った演奏になります。

観客の熱狂的な盛り上がりが伝わってきます。

ニューオルリンズジャズクラブでは、依頼を受けて音楽イベントやパーティーなど様々な場所で出張演奏を行なっていますが、お客さんが盛り上がってくれると演奏している私たちも更にテンションが上がります!

ニューオルリンズジャズの良さの一つは、演奏する人も聴いている人も一緒になって盛り上がれるところではないでしょうか。

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